マレーシア留学をして確信したこと4選
Selamat pagi!
マレーシアのコタキナバルに留学していたちりです!
この2年間のマレーシア留学では、私個人としては新たな自分の発見をした!ってよりは、やっぱり自分はこういう考え方、目標なのに変わりはない=少なくとも40歳くらいまではこのまま歳を取るんだろうなぁって確信を持った事がいくつかあります。
今回はそのことについて書こうと思います📝
1.彼氏がいなくても全然生きていけるじゃん
昔からあまり彼氏願望があったわけでもないし、欲しいと思う機会もあまりなく時間が経過しました。
マレーシアに行ってからもこの考え方が変わる事は一度もありませんでした。彼氏ができたからって留学や海外生活の充実度が一気に上がるわけでもなさそうと思いました。(なんとなく)
コロナでロックダウンが起きた時も、彼氏がいたら心強いだろうな〜って思う事は特になく、複数の頼れる友人と出会えてよかったと改めて思いました。
コロナ以外でも、困った時はコタキナバルの友人達に聞いてもらったり、助けてもらいましたが、逆に彼氏しか頼れる人がいないってすごいハイリスクと思いました。
また留学する機会があれば私はまたあらゆる友人を作って、困った時は率直に悩んでる事を話せる友人とで会えるように頑張ろうと思いました。
帰国後、祖母から
「コロナで人と会えなくて寂しいと思わなかったのか?」
「彼氏がいなくて寂しいと思わなかったのか?」
と聞かれましたが、即答で
「そりゃ人と会いたいとは思ったけど、それがきっかけで彼氏が欲しいにはな繋がらないんだよ」
と答えてしまいました。
2.美術関連は死ぬまでやめるつもりはない
美術だけで生活できるのが理想ですが.....😭
売れる売れない関係なく、展示や作品を描くことは私にとって生き甲斐で、展示を見て人とお話することも楽しいと思いました。
コタキナバルでは展示を見る機会も少なかったし、哲学や考え方の話しをする機会はあまりなかったのでむなしさや寂しいと思う時は正直ありました。
東京に比べると環境はないし、見たり話す機会は少なかったけど、自分には欠かせないと改めて再確認できた留学でした。
3.辛いご飯が好きなる事はない🔥
サバ州はマレーシアの中でもご飯が辛くない方ですが、それでも辛いご飯は食べれない事が多かったです😓
マレーシアの友人達は私が辛いご飯が食べれなさすぎて驚かれる事も普通にありました😅
私自身もたくさん食べれなかったし、日本に帰った今も辛いご飯が特に恋しいと思う事もまだないです。
この調子だと40歳を通り越して、死ぬまで食べれる事なく人生終えそうな気がします😅
ただしファミマで売られてたスパイシークリスピーは水無しで食べれました。鍛えられたとは思いました🌶
4.現地妻の立場で海外生活をする事はないと思う
コタキナバルの場合ですが、私に現地妻はできないと思いました。ホームステイや留学生の立場で海外に滞在し、異文化と密着してる生活と、既婚者の立場で暮らすのは別物だと現地の方とお話しして思いました。
今後もコタキナバルで会った友人の国に遊びに行きたいし、色んな経験はしたいと思いますが、旅行者の立場で今後は海外を楽しむだけで十分かなって思いました。
どこに国にいても悩みやイライラする事はあると思います。でも私は日本国内で終わらせたいって気持ちが増してしまいました。
パートナーがどんなに日本語が流暢に話せても、国際結婚に変わりはないし、海外の考えや文化を完全に理解しながら生活するのはハードルの高さを痛感しました。私はただ見てただけの立場ではありますが.....
留学をして人生が大きく変わった!と言うよりは、自分の再確認がたくさんできました。
日本に絶対に帰国してこの進路で絶対生きると決めてたのも大きいと思います。
マレーシア大学留学生の多くは大学での専攻と違う職種に就いてる人が多いので、人生が変わった人のが多いです。そんな環境にいると、私の変わらなさってなんだろうって思う時はありましたが、今は何も気にしてないし、生きるのが楽になりました。
本日もブログをご覧いただきありがとうございました。
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